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日記:3月11日「あれから1年が経つ」

去年の3月11日、そう東日本大震災が起きた日、私は実家にいた。地震が起きたのは1階で母親と話していた時のことであった。家が揺れたとき、「またいつものか…」くらいに軽く考えていた。私はこれまで生きてきて、もちろん数々の地震を経験しているが、「これはまずい!」というような切羽詰まった経験したことがなかった。

 しかし、この日は違っていた。「揺れ」はしばらくたっても収まる気配はみせず、逆により強くなっていった。さすがに「これはまずい!」と思い、母親に「早く、前の畑へ」と叫んだ。そうすると、母親が「ちょっと待って、荷物が…」と言い自分の部屋に貴重品を取りに戻ろうとしたので、「そんなのは後でいいから」と手をつかみすぐ前にある畑に飛び出した。

 幸いなことに、私の実家の目の前には畑が広がっている。そこへスリッパのままとりあえず非難をした次第である。周りを見回すと、少し離れた家の人も畑に非難をし、大きく揺れる家を見上げていた。そこで、とりあえず揺れが収まるのを待った。近くの小さな公園には、幼稚園児が引率されて遊びに来ていたみたいで「怖いよ!怖いよ!」とおびえている子もいたし、中には泣いている子もいた。

 4分から5分くらいはその畑にいたのであろうか、とりあえず揺れが落ち着くのを待って家の中に入った。父親は2階にいたので、すぐに2階に様子を見に行くと「いや~、良く揺れたな!」とそれほどパニックになっている様子もなかったので一安心した。

 万が一、家が倒壊することがあっても2階部分までは崩れ落ちることはないだろうから、そう言う意味では2階にいれば安心なのだろうが、とりあえず父親を1階に呼び、居間の窓を開け放して、両親には靴をはかせていつでも避難できるようにさせた。

 ただ、東北地方ほどではないが、東京の3月はまだまだ寒いので、ダウンジャケットを着せ、毛布などを膝に掛けてなるべく身体が冷えないように対策をした。そして、テレビをつけて地震に関する情報を得ていたのである。

 しばらく見ていると「大きな津波が迫ってきます!何波にも分かれて大きな津波が迫ってきます!」と、今となっては何回も繰り返し見た映像がテレビ画面に映し出された。そして、これもほとんどの日本人が目にしていると思うのだが、畑を津波が、家屋や自動車を飲み込みながら内陸に進んでいく映像が流れた。その色はとても海水とは思えないほど黒々としていた。

 正直、「こんなことが起きるのか?」と信じられなかった。なんとかその津波から逃れようと右往左往する車、「もうここまで来たらおしまいだ!」という感じで、橋の手前で停車しているトラックの荷台の上に人が立ち、迫りくる津波を眺めている人の映像が目に飛び込んできた。ヘリコプターからレポートをしている人もさぞ辛かったことだろう。

 その日は両親共に居間に布団を敷いて寝かせた。いつでも畑に避難できるようにした。翌日、やはり多くの人が同じように考えたようで、「万が一に備えて、少しは食べるものを買っておかないと…」とスーパーに行くと、ものすごい混みようであった。缶詰などはわずかに棚に残っているだけで、パンなどはすでに品切れ状態となっていた。

 それでも、その日食べるものと缶詰など非常用にできるものを適当に買い物かごに入れレジに並んだのだが、またこれが長蛇の列で、会計を済ませるのに40分以上かかった。

 最近、マスコミで「東京直下型地震」のことが良く取り上げられている。もし、「東京直下型地震」の地震が起きたら、「震度7」も想定され、多くの家屋が倒壊し火災が起きて死傷者がたくさん出るとのことである。

 私の住んでいるところは津波の心配は全くないが、現在の耐震基準では建てられていないので、家屋が倒壊する可能性は十分にあり得る。その場合、「圧死」が一番怖い。何とか対策を打たなければとは思っているのだが…。

 「えっ、だれが倒壊して死んじゃうの?」「あっしです。」なんていう冗談を言っている場合ではないのである。
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